永遠の故郷~石巻の春  其の壱

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未曾有の大震災から50日。

余震や寒さに苦しみ続けた東北にも柔らかい風が吹き始めました。

横浜から石巻へ、愛する人々の今を確認しに行ってきました。




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東京駅から朝7時30分発、仙台、松島、石巻行きの臨時バスに乗り込みます。


座席表

バスの座席表には降車地と名前が記され。 

後方は女性ばかり、途中の2か所の佐野と安達太良の休憩所でも和やかに会話を交わし。


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仙台駅周辺は、いつもの大都会の暮らしが営まれているように見えました。
駅舎だけ、すっぽりと覆いがかけられて。


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当初の到着予定地が、「石巻駅前」から山に近い「石巻専修大学ロータリー」に急に変更になりました。

大学のグランドにはボランティアのテントがびっしりと。


そこから市内までの交通手段を思案していると、見ず知らずの子連れの若いママがお迎えに来ているお母様の車に一緒に、と声をかけてくださいました。

有り難くお言葉に甘え、叔母の家の前まで送っていただきました。


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地震発生から4日間ぐらい1階の押し入れ上部まで水没していた家は、畳とヘドロはすべて排出され、

ちょうど新しい畳が搬入されている時に私が到着。

壁に残る水位の痕に驚きながらも、家の骨組みが残ったことに安堵。


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陽だまりの縁側は、以前と変わらず。

入れ換わり立ち替わり近所の人がお茶を飲みに顔を出します。

叔母が北上川の上流で摘んできた菜の花のお浸しが、チオビタやお茶と一緒につままれて。


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消毒の白い粉が巻かれた庭には、球根がいくつも植えられ始めていました。


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母の病院へ行ってみると、頑丈な建物はほぼ無傷。

数日間孤立した中で、必死に入院患者の命を守ってくださった医療従事者の皆様のおかげで母は静かに命を繋いでおりました。


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母は少しだけ痩せていたけれど、顔色もよく穏やかな顔をしていました。

「おかあさん、良かったね」  「・・・夏休み?誰かしら?みほちゃん?」

かみあわない会話を交わしながらも、母は私の手を放そうとせず。


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続いて、貞山(ていざん)の従姉妹の家へ。

仙台~塩釜間はようやく復興しても、そこから石巻までの線路は寸断されたまま。

線路の脇には海水に浸かって廃棄処分となった家具や家電が山積み。


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このあたりも1階は大量のヘドロが流れ込み、車もすべて廃車。

スコップを使って運び出され、袋に詰められた土砂。


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畳を捨てて、自分たちで板張りの床を作った従姉妹夫婦の3人の子供たちが玄関を開けた瞬間に

「ミホ~~~~~~~~~~~~、会いたかった~~~~」と抱きついてきました。

8歳の長女・夢(ユメ)と、7歳の次女・希(ノゾミ)が二人で丁寧に入れてくれた歓迎のお茶。

「桜の湯飲みがね、壊れなかったんだ」


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ふたりに連れられて、家の周りを歩いてみます。 

「電車が動くようになったら、横浜に行きたいな」 


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私よりも10歳下の従姉妹・正美ちゃんが数日前に復旧した大型スーパーに自転車で買い出しに行き、

ご馳走を山ほど作ってくれていました。

「ガスが通るようになったから、何でもできるよ」

めひかりの天ぷらは私の大好物。


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焼きそばも大量に炒めてあり、


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筋子も明太子もふんだんに。


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鰹のお刺身は新鮮で薬味たっぷりで。

叔父、叔母、従兄弟、わいわいと缶ビール、缶チューハイが開けられていきます。

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セロリのパリパリ漬けを食べながら、子供たちが笛を吹いたり歌ったりする姿を眺め。


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さしみこんにゃくの酢味噌がけも風味豊か。

パリ土産の夏服を着てはしゃぐ子供たちを見て叔母が涙。

「暗い顔していた孫たちが、また笑ってる」

ランドセルも、日本国内からの支援物資で新調されていました。


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ダイソーでたくさん買ったキラキラのマニュキュアで、


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可愛い女の子たちの小さな爪におしゃれを施すと、


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満開の笑顔で

「可愛い! 手が綺麗になると、丁寧に何かしたくなるねー」と大喜び。


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新しく工事したばかりのお風呂にも入り、2階で寝かせてもらいました。

目が覚めると秋刀魚と、筍&生姜ご飯。





お見舞いに来たはずが、逆に癒されていることに泣けてくる。


心が砕けて、折れて、疲れ果てているのではと思っていた親戚が全員元気でたくましく生きている。




「避難所から出て、自分たちで出来る片づけをせっせとやって、汗を流しているうちに悲しみが消えてきたよ」







2日目の午後から被害がさらに甚大だった海辺の町へ向かいました。

そこに待っていた変わり果てた風景は、生涯忘れることのないもの。




つづく。

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良かった~!!!

長旅、お疲れ様!
叔母様のところも正美さんのところも、被害はあったものの
お家は流されずに無事だったのね~、良かった良かった!

避難所も出られて、ご自宅での生活を頑張ってらっしゃるご様子
何だか涙が出てきました。人間てなんて強いんだろうね。
子供たちに笑顔、さすがピノちゃんだわ。女の子は綺麗なものが大好きだもん。

お母様はきっと娘が来たことを、どこかでちゃんと解ってらっしゃるんだと思う。
繋いだ手が、離さない手が、母娘の強い絆を感じます。

ピノちゃんと入れ違いに、姉さんは今から東北に向かいます。
続きは帰ってからゆっくり読ませてもらうね。

おかえりなさーい(^0^)/~

ピノちゃんこんばんはv-483

いろんな意味でハードな旅、お疲れ様でしたv-435
みなさんお元気そうで、本当に良かったですねv-354
ピノちゃんが逆に元気v-92貰えるほど強い方々に、
心からの拍手v-424をお届けしたいです。

パリv-498から横浜v-496横浜から石巻へと、
日本にいる私達より遠い旅を果たしたピノちゃんにも大きな拍手v-424

お母様と繋がれた手v-423羨ましく拝見致しましたv-406

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いつもありがとうございます

☆鍵コメ cocoママさん

バスの中で仙台を過ぎた頃から周りの景色をじーっと見て、悲しみが襲ってきました。 石巻市内に入ってからは自衛隊や救援物資のトラックをたくさん見て、「被災地」の現実を感じました。

親戚と母に会って、みんなを抱きしめてきました。

叔父や叔母は、「ハグ」に慣れていないので、照れていました。

明日から横浜で仕事して、また元気にパリへ帰りますので待っていてくださいね。

ご無事で

☆さち姉さん

姉さんももう東北に到着していますね。東北道、福島を越えたあたりから道路のボコボコが激しくなり、バスの後部座席で酔いそうになりながら寝ていました。

叔母や従姉妹の地区は地震そのものの被害はほぼなく、津波も急激な増水というよりも、じわじわと浸水してきたようです。
そして、水もなかなか引けなくてやきもきしたようですが、今は住民が協力し合って清掃活動に励んでいました。

食べるものがないのではないかと思って、手荷物でお菓子やあんぱんや水など持てる限り持って行ったのですが、ちゃんとみんなが食べていて安心しました。

子供たちが心に受けた衝撃を思うと、私がしてやれることは本当に些細なことで。
辛い思い出を越えてたくましく育ってほしいと願います。

救援物資

☆小鞠ちゃん

すぐに戻れない、行けないもどかしさと自分の無力感を持ち続けてパリから帰りましたが、50日経った石巻は復興にまっすぐ向かっていました。

従兄弟の家で、救援物資の中に下着を見つけ、小鞠ちゃんの会社のアウトドア義援隊からいただいたものかもしれない・・・と思いました。たくさんの応援をありがとうございました。

おかげさまです

☆鍵コメ likisukeさん

横浜での激励を携えて現地へ行ってきました。

母の手は細く小さくなっているけれど、いつもすべすべ。
私の手を触ると、ふっと記憶も戻るらしく今回も急に
「お料理、考えてるの?教えてるんでしょう?楽しいでしょう?」と
言われました。
元気な頃に、新聞の料理欄の切り抜きをパリまで送ってくれていたことを思い出しました。

子供たちも友達を亡くして寂しそうな表情の時もありましたが乗り越えて育ってほしいです。

涙しちゃいました

行ってこられたのですね!
お疲れ様でした!

何度も見た“がれきの山の写真”。
こうしてピノちゃんが目の当たりにして写真を撮ってらっしゃったのを見せていただくのとは
まるで印象が違います。
この様な中、ご家族・ご親戚の皆様が無事で
本当によかった!

朝、今、この記事と写真を見て、泣けてきちゃいましたe-263

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いってきました

☆かづちゃん

おかげさまで、石巻に行ってくることができました。

瓦礫の中に人々の思い出がたくさん散らばっているあの光景。
横浜の家にある、田舎のみんなの思い出の写真をかき集めて
送ろうと思っています。

まだまだ復興までの時間は長くかかりそうですが、日本中、世界中からの支援の声が本当にありがたい、と思います。
ボランティアの方々が汗を流してヘドロをどけてくださっている姿も
たくさん見ました。

石巻の現状

☆鍵コメ M美ちゃん

先日R子ちゃんが電話をくれて、一瞬だけど声を聞けました。
元気な「妹」たちの日本での活躍も心から祈ってます!
夏にはみんなで小田原&箱根で再会しようね。

石巻の親戚はみんないつもの笑顔に戻って、力強く、元気に食べて飲んで、せっせと片付けに励んでいました。
びっくりするぐらい、全員が働き者で、よくもここまで掃除をしたねと思うぐらいに泥だらけの壁も床も磨かれていました。
外のブロック塀が倒れるぐらいの地震のあとで、水がじわじわ増したようで、瞬間的に溺れるようなことは無かった地区ですがその後数日間も水が引かずに苦労したようです。

車がすべて水没して、自転車で走り回る従姉妹が私の好物を山のように作って待っていてくれたことがありがたかったです。
お米は青森から、魚は北海道から、というようにあちこちから物資も届いてみんなの食生活は落ち着いていました。

プロフィール

Author:ピノミホ
趣味から始めたワインの勉強、人と語らうことが大好きでおもてなしを積み重ねた経験、それらを集結して「CEPAGE」を実らせて満17年を迎えました。
小さなサロンのテーブルに、今日も美味しいお皿を運んでいます。

ワインの熟成と同じように、ゆっくり、味わい深い時間を過ごせる日々を願って。

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