忘れずにいること

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牛久を走った翌日、東北・石巻に向かいました。


震災後の4月、半年が過ぎようとしていた8月、 あれから10ヶ月が経過した故郷。

白い雪が降ろうとも覆いつくせない記憶が、まだ極寒の海辺にありました。




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3連休明けの東北新幹線、ほぼ満席。

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駅弁は、これ以外考えられない崎陽軒のシウマイ弁当。


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仙台駅構内の本屋さんには震災関連図書が山積み。


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いつも挨拶するこけしちゃん。 


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改札横には東北の名産物を扱うお店が出来ていました。


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仙台から石巻へは以前のように仙石線で行くことができません。

松島から先、大きな被害を受け、完全復旧にはまだまだ時間がかかるとのこと。

1時間に1~2本運行されているミヤコーバスで1時間半。


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石巻駅前に夕方、到着。


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タクシーで、母の入院先の病院へ。

高台にあるこだまホスピタルの別棟こだまガーデンハウス。

母は震災当日もその後も、ここで守られ命を繋いでいます。


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青空に工場の煙。

石巻の産業の要、日本製紙が稼動。

付近の道路に散乱した巨大な再生紙のロールを見ていたので、この復旧の早さに驚きました。


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エレベーターを降りると、車椅子に乗った母が叔母と一緒に私を待っていました。

痴呆が進み、私のこともわからなくなってからすでに2年近く。闘病は8年に及びます。

「おかあさん、あけましておめでとう。」

5秒ぐらい、じーっと不思議そうに私の顔を見たあとで、叔母に「だれ?誰が来たの?」と
促されると、しばし考えて

「・・・・・・・・みほちゃんかな。」


叔母が直前に一生懸命教えたのでしょう。 嬉しくて悲しくて、壊れた母が愛おしくて涙。



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2時間ほど病室で過ごし、叔母の家から近いなじみの寿司屋さん「梅川」へ。

「東北の魚を、パリの娘っこに用意しておいたよ」


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こっくりと煮えた金目鯛や、


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奇跡的に震災を免れた、石巻~女川間の万石浦の牡蠣や、


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珍味ほやの三杯酢で、生ビールを延々と飲み続け。


梅川さんで集合写真

大将、おかみさん、叔母や従姉妹家族と記念撮影。


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叔母が買っておいてくれた温かいパジャマと、足元から優しさが伝わる湯たんぽ。


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目覚めると台所からカレイを揚げる香りが。

つやつやのササニシキと具沢山のお味噌汁、筋子に明太子にきんぴらに蕗。 

好きなものがいつも並ぶ田舎の朝ごはん。


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従姉妹の車で、すぐ近くの酒蔵へ。

「日高見」は震災復興酒「希望の光」や「感謝の手紙」が1升瓶で出ています。


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駅前から北上川方面へ。空き地が目立ち、ビニールシートに覆われた廃墟も多く。


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津波で陸地へ乗り上げられた船。 何艘も折り重なり、惨状をそのまま伝えています。


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新築だったはずのアパート。

半壊、全壊の建物は3年以内に申請により撤去となるようです。


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被害が甚大だった門脇小学校。

紅白歌合戦で長淵剛さんがここで「ひとつ」を歌われたそうです。


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粉雪、海風、灰色の空。


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折れ曲がったままの電信柱がひかない水溜りの中に。


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ガレキの山、廃車の山も。



親戚の家は全壊は免れましたが、1階の押入れ上部まで浸水後の修繕もこれから時間がかかります。

なんとか住み続けられることだけで有り難いと叔母が静かに言っていました。



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母の病院へ向かい、母と叔母、私で手を繋ぎあってしばらく談笑。


苦しいとき、弱ったとき、心の中で今でも「おかあさーん」と叫んでいます。



母は私がとても幸せだと思っている。 

私も母をこのまま穏やかに生かしてやりたいと思っている。


しがみついて泣かせてもらうには、小さくなりすぎた母。

母に代わって泣かせてくれる友達に恵まれているから、私は大丈夫。



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めそめそよく泣く私と逆で、叔母も従姉妹も強いです。

駅へ送ってもらう前に、バイパス沿いのファミレスでハンバーグランチ。


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石巻から仙台へ、再びバスで移動。

新幹線に乗り込んで関東へ帰る間に、気持ちをしっかり立て直す。






「足りないもの、できることはないですか?」

多くの方々に気にかけていただいていることを叔母たちは心から感謝しています。


「忘れないでいてくれるだけで、充分です。」 






今日の1日を後悔しないで生きること。

 
東北の人々の我慢強さ、粘り強さを思いながら。








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No title

どんなニュースでみるより、実際に行かれた美穂さんの写真、あの時の悲惨さすべてを物語っているように感じました。
まだまだたくさんの時間がかかると思いますが、私達に出来ることをしながら支援したいなと思っています。

叔母様がご用意された、暖かそうな暖かそうなパジャマ・・・暖かい気持ちがあふれてますね。なぜか涙が出そうになりました。

お母様、やさしい手をされてますね。絶対にきっと幸せとおもってらっしゃいますよ。

息子が生まれたとき・・・自分の命より大切な存在だわと思いました。そのとき初めて親の気持ちが分かったというか、気づかされました。

お母様はいつまでも、ミホさんのことが一番大切だと思ってらっしゃるとおもう。
そして私達も、一番つらいときは「お母さん!!」って言っちゃうのよね。
お互い元気で頑張りましょうね!!

ミホさんの温かく素敵なご親戚のいらっしゃる、岩手県初め被災地が一日も早い復興を願うばかりです。

あのね。。。ミホさんがこちらにいらっしゃるときにご案内する酒蔵・・・色々検討中です。気が早いかな(笑

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おそらく。

☆さつきさん

行く前は石巻がきっともっと変わっていると思っていました。
実際に見て、確かに夏よりは進んでいる。でも、この先は果てしなく長いことも確認しました。

多くの被災地の中でも石巻は死者も行方不明者も家屋の損傷も多かった。
私が行った前日にも首相が石巻を訪問なさったようです。

地震の前も後も母に会ってから横浜へ戻ると、母が元気だったころの思い出がたくさん横浜に残っていて今の現実が夢であればいいのに、と思うこともしばしば。

オトナになるということは、厳しいことを受け入れて立ち向かう責任なのかも知れないです。

あ、さつきさん、石巻は宮城県です。岩手県までも近いけどー。仙台から海沿いに、松島、塩釜、石巻・・・って続いているの。 その先、海岸線には女川、南三陸町、気仙沼・・・
いつか、一緒にも旅できたらいいですね。

案内してくださる酒蔵?どこだろう、嬉しいわ。その日を楽しみに今日もガッツで働きます。

地球は回る

☆鍵コメmother-of-pearlさん

田舎から戻り、まだ心の中には冷たい白い雪がしんしんと降っているようで少しだけ身体が重たい日を過ごしておりました。

自分のことも、親のことも、子供のことも、予測不可能なことはいくらでもあって、「もう超えられない」としゃがみこみたくなる瞬間があっても、やっぱり立ち上がるしかない。

くじけない女性の代表、mother-of-pearlさんからの励まし、私もついていきますね。
「次は桜」 そうですね、いつまでも雪国は雪国じゃない。

次にお会いできるとき、私の顔も桜満開になっているように、しっかり越冬します。

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忘れないこと

夫は月に一度はこの景色を見ています。先月はすでに雪があったそうです。
石巻の皆さんは、一生懸命前に進もうとしてらして、明るいそうです。
きっと一生懸命明るく、東北の方たちの強さを発揮してるのでしょう。

先日のロータリークラブの新年会でも、今年も支援していこうと話しました。
先が長いので、お互い無理をせず、けれど確実に共に歩こうと。
今、ちょっとだけ大きなプロジェクトを計画中。

どんな景色であろうとも、こうしてピノちゃんが発信し続けてくれるのも
皆さんが忘れない力になります。ピノちゃん、石巻特派員だからね。

お母様、穏やかに新しい年をお迎えですね。
もうさ、私たちは親を庇護する年代になっちゃったんだよね。
大人になるのはせつないね、ピノちゃん・・・。

キャッ

キャッ、失礼しました。

宮城県だったのですね。地理が弱いのがばれてしまった・・・(恥

横浜にお戻りですか?
>今の現実が夢であればいいのに、と思うこともしばしば
そうですね、いろんな現実を受け入れながら、私達は大人になっていくのですね。

実は私・・・両親の老いという現実が中々受け入れられなくって、些細なことでイライラしていました。
入院するとかてはないのですが、今回母が肋骨を骨折してしまい、帰省したときに久しぶり母の横て寝て、夜中のトイレの補助をしたりしたのですが、よろよろしている母を目の当たりにし、これが現実なのだと実感し、やさしく接することが出来たの。

ミホさんのお母さんに対する優しい気持ちを読ませてもらい、私もハッと気づかされました。
現実を受けれて、私ももっともっと母に優しくしてあげようと思いました。ありがとう。

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ハードスケジュール(*。*);

ピノちゃんこんばんはv-483

とても過密v-271v-272v-275v-29v-235でハードなスケジュールに
ピノちゃんの事が心配ですv-404

この後まだまだ、いえ、ずーっとお忙しい日々、
v-349と身体をやすめる時間v-395を作るの忘れないで下さいませね。

厳しい被災地の様子をピノちゃんの目線で拝見できる事
とても感謝しています。
心に積もる辛い事も多いのに、何の力にもなれなくて。。。v-435
と書く事しかできなくてごめんなさーいv-393


パジャマ

☆鍵コメ A子ちゃん

同じ気持ちで東北を案じてくれてありがとう。

パジャマね、年間に3~4回、今まで田舎に行っていたから私のパジャマは置いたままにしていたの。それも水没してしまって、4月は服のまま寝たし、8月は短パン借りて寝たことを叔母が覚えていたのね。 「みほが気に入るかわからないけど・・・」って出してきてくれたこのパジャマは本当に暖かかった。

うちの田舎の人々は、どこまでもよく飲むし、途中からはふっきれて幸せだ幸せだ、と言いまくる。きっとその血が私も濃いのかも知れない、と今回も感じました。

今はとても寒いから、どの景色も辛く映るけれど、春の東北はとても綺麗です。

関東よりも少しだけあとの桜を見に、みなさんが東北へ足を向けてくださればいいなと思っています。

足利と石巻

☆さち姉さん

ご主人がロータリークラブで石巻の、東北のためにいろいろ動いてくださっていること、
本当にありがとうございます。
あれだけたくさんの友達を亡くし、子供たちも元気がなかった夏前。今は、小学校のグラウンドに仮設の学校が出来て、いくつもの学校が併合状態で、教育もなんとか続いています。

子供たちが大人になったとき、あの日の経験をどう生かして地元のために動ける人間になるかどうか、親たちの取り組みが今は一番の手本になっていると感じました。

親に手をかけてもらった時期も長く、今でも根底では母が私を育んでくれている。
それを思えば、親がどんな状態になろうとも、寿命を全うしてもらうまでは、できる最善のコンディションに母を置いておきたい。そのためにも私が折れてる場合ではない。

今回、母にきいてみました。「横浜に帰りたい?」って。しばらく考えて、無言でした。
横浜には母との想い出が多すぎて、マンションもちっとも片付きません。
まだまだこのままでいよう、と思います。

親が老いていくこと

☆さつきさん

私は、今でこそ、少し気持ちの整理がつきましたが当初は壊れていく親の姿を直視できずにいました。 横浜から石巻へ連れて帰り、叔母のチカラを借りてあちこちの病院を回ったときも、夢を見ているかのような現実感のない状態で。

今でも決して私は親孝行じゃないし、常に心のどこかで母を置き去りにしている苦悩があるのです。 元気だったときの母の写真を眺めて、別人となった現在をどうしたらいいのかわからないときもある。

さつきさんがおかあさまと並んで寝たこと、優しくしようという気持ちになったこと、これからもおかあさまとの時間を大事にしてください。

母になってからの自分たちもこれから先が長いけど、娘として生きる自分たちもまだまだ続きます。 この人のおなかから世の中に出たんだ、と思うと不思議ですよね。

リンクありがとうございます。

☆鍵コメ LazyElephantさん

お気持ちありがとうございます。

個人的な心情ではありますが、多くの方々の目に留めていただけるのは有り難いことです。

また3月にも6月にも、行ってみます。


休息

☆小鞠ちゃん

いつもご心配と応援ありがとうございます。

飲みに行かず家で寝ていればいいのですが、人に会うことで「しっかりしろ、自分」と実感できるので、毎日外へ出ています。

休息は、移動の電車の中やバス、車の中で2秒で眠りに落ちることが出来ますので、ちゃんと取れています。

今日もこれからセパージュ。体調も万全です。頑張ってきます。 
横浜も寒いけど、神戸も寒そうですね。

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今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ピノちゃん、今年は訳あっての今頃のご挨拶となります。

いつも何度も思いますが、報道で見る写真よりも
ピノちゃんの写真を見せていただくと、より深く現実がわかり言葉を失ってしまいます。

“パリの娘っこに用意しておいたよ”

私、以前にもこの言葉をブログで読んで、とても感動していたのですけれど
今回もそうでした。

人々の温かさは何一つ変わっていない事も
報道よりもピノちゃんの記事からの方が強く伝わってきます。

ピノちゃんの皆様への愛情も優しさもPCから溢れています。

同じ気持ち

☆鍵コメ のんちゃん

見守ってくれていてありがとう。
長野ののんちゃんの実家に大勢で押しかけた訓練生時代、お父様もお母様も本当に温かく受け入れてくださった夏だった。今でもあの縁側を時々思い出しているの。

お母様との日々、次に3月に会った時にいろいろ聞かせて。私も話をするね。

茗荷谷にのんちゃんが居るとは驚いた。播磨坂が桃色に変わる頃、今よりももっと心も春めいてあのあたりをお散歩したいです。

連絡先もありがとう。しっかり書きとめたよ。

何年経っても、どんなブランクがあっても、のんちゃんはのんちゃん、ミホはミホだから。
ずっと変わらないよ、ずっと仲良しね。

今年もよろしくお願いします。

☆かづちゃん

こちらこそ、ご挨拶遅くなり毎度の不義理をお許しください。今年もどうかよろしくお願いします。

東北の様子、私の記事でお心にとめていただけてありがたいです。
3月11日も、この日のように、粉雪が舞う寒い寒い日だったそうです。
あの直後の春は、春を感じる心の余裕もなく過ごした親戚も、今年は春を別の気持ちで待っている様子でした。

すべて水没でダメになった電化製品やお風呂、車も、ぼちぼちと揃え始め、中古の大きなバンを買って、みんなで足にしていました。

何が大事なのか、あの場所に帰ると見えてくるような気がします。


こんばんは。

日本にいながら、なかなか行くことが出来ない東北。
実際に見ることは出来ないけど、こうやってピノさんに
教えてもらて、本当にありがたいです。
お母さん、お元気でしたか!?

東北も関西も

☆kashちゃん

大勢の方が命を落とした阪神大震災から17年が経ちますね。
95年、あの時もパリで遠い日本に向かって何も出来ずにおりました。

自分の無力さを思い知って、本当の人間の明るさと強さの意味を考えて今に至っています。

母は肉体のコンディションは今、悪くないのでまだまだ生きていてもらいます。
私が弱って東北へ行けなくなることがないように、気合いれ直して頑張ります。
プロフィール

Author:ピノミホ
趣味から始めたワインの勉強、人と語らうことが大好きでおもてなしを積み重ねた経験、それらを集結して「CEPAGE」を実らせて満17年を迎えました。
小さなサロンのテーブルに、今日も美味しいお皿を運んでいます。

ワインの熟成と同じように、ゆっくり、味わい深い時間を過ごせる日々を願って。

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